ドイツの首都ベルリンへ(ベルリンの壁の跡)

海外編(ヨーロッパ)

 ミュンヘンから、ニュルンベルク、ドレスデンを経由して首都ベルリンへ向かいます。途中、奇岩に架かる橋バスタイ、貨物便の基地があるライプツィヒ空港を見学します。ベルリンではオリンピックスタジアムや、ブランデンブルク門、そしてベルリンの壁の跡などを見学します。

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ベルリンへ向けて

 今日はミュンヘンを出発して、首都ベルリンへ向かいます。MSFSのライブウェザー(実際の現地の天気がゲームに反映される)を使用しているのですが、今日は雨模様です。上空に出ると雨もやみましたが、厚い雲がかかっています。進行方向の北側が少し明るいので思い切って出発しました。

曇り空の中を出発

ニュルンベルクの巨大な操車場

 ミュンヘンから北へ約150キロ、ニュルンベルクという街へやってきました。南側に大きな操車場を発見しました。上空からも発見できるこの操車場は世界でも有数の規模を誇る操車場です。左側に機関車の方向を変える丸いターンテーブルが見えます。その下に見えるオレンジ色の屋根の塔は給水塔です。

ニュルンベルクの巨大な操車場

ニュルンベルクは、MSFSで衛星写真を元に街が再現されているので、この操車場も機関車や貨物車を確認することができます。ターンテーブルもここまで再現されています。

ターンテーブルも見える

雲の中を飛行

 ニュルンベルクから針路を北東へとって、ドレスデンを目指します。今日は出発から曇りの天気です。リアルな天気を感じながら、雲の中を飛行するのも、たまには楽しいです。

厚い雲の中を飛行

天空に架かる橋バスタイ

 ドレスデンの近く、雲の切れ間から立ち並ぶ奇岩が見えました。水の浸食によって作られた高さ100メートル以上の奇岩が並ぶ「バスタイ」です。

雲の切れ間からバスタイの奇岩が見える

奇岩には橋が架かっています。バスタイ橋という名前ですが、断崖絶壁に架かっていることから天空に架かる橋と呼ばれています。

天空に架かる橋バスタイ橋

奇岩の上を歩けるように、階段と通路が作られています。

バスタイに架けられた遊歩道

戦災からの復興の街 ドレスデン

 天候が回復しないので、バスタイからすぐ近くのドレスデン空港へ着陸しました。
翌日、天気が回復したので改めてベルリンに向けて出発です。ドレスデンはエルベ川沿いに広がる街です。第二次世界大戦で連合国軍の空爆を受けて廃墟となりましたが、そこから復興を遂げた街です。川沿いの中央に建つ白いドームの建物は「聖母教会」です。空爆で焼失しましたが、2005年に再建されました。

戦災から復興したドレスデン

自由の街 ライプツィヒ

 ドレスデンから西へ約100キロ、ライプツィヒという街にやって来ました。東西ドイツ時代は、東ドイツに属していましたが、ベルリンの壁崩壊の発端となった、反体制運動が始まった街として知られています。手前に見える三角形のガラスの屋根は、動物園です。

ライプツィヒの街

航空貨物のハブ空港 ライプツィヒ空港

 ライプツィヒを訪れた理由は、空港を見学するためです。ライプツィヒ空港は航空貨物において、国際的に重要な拠点となっていて、DHLがハブ空港として使用しています。

航空貨物(DHL)のハブ空港

DHLの貨物機がたくさん駐機しています。

ライプツィヒ空港のもう一つの特徴は、誘導路と高速道路が交差しているところです。誘導路のすぐ下を道路がくぐっています。空港の下がトンネルというのはよくありますが、屋根もなくオープンな道路のすぐ上に誘導路がある珍しい空港です。

道路のすぐ上を旅客機が横切る

飛行船の格納庫跡 世界で4番目に大きな建造物

 もうすぐベルリンですが、ベルリンの南50キロに巨大な建造物が見えてきます。「トロピカル アイランド リゾート」と呼ばれる屋内型のウォーターパークです。この建物、実は第二次世界大戦頃に建てられた飛行船の格納庫跡です。巨大な飛行船の格納庫跡ということで、旅客機の工場などに次いで、世界で4番目に大きな(広い)建造物です。

世界で4番目に大きな建物「トロピカルアイランドリゾート」

ベルリン観光へ

 ベルリンに着陸後、飛行機を乗り換えてベルリン観光に出発です。ドイツの首都でもあり、最大の都市です。右下にはベルリンのシンボルである「ベルリンテレビ塔」が見えています。中央に見えている緑色のドームの建物は「ベルリン大聖堂」です。

ベルリンの中心部

ブランデンブルク門

 東西ドイツ統合の象徴と言われる「ブランデンブルク門」です。門の向こう側(西側)にはティーアガルテン公園という、広大な公園が広がっています。

中央下のブランデンブルク門から公園の中へ道が続いている

ブランデンブルク門は、東西ドイツ統合の象徴として有名ですが、建造は1790年頃です。東西分断の時代は、東ベルリンに属していました。

ベルリンのシンボルと呼ばれるブランデンブルク門

ベルリンの壁跡地

 ベルリンの壁の跡が、記念館として残されています。ベルリンの壁は、東ドイツ、西ドイツの国境に沿って南北に建てられていたイメージがありますが、実際は違います。東ドイツにあった東西で分割されたベルリン市の、西ベルリンを取り囲むように作られた壁です。中央を通る道路がベルナウアー通りで、かつてはこの通り沿いに壁があり左(西側)右(東側)に隔てられていました。中央の土が見える広場に監視塔が残っています。

中央を走るベルナウア通りに壁があり、左右に分かれていた。

オリンピックスタジアム

 1936年、ヒトラー率いるナチス政権下で行われたベルリンオリンピックのメインスタジアム「オリンピアシュタディオン」です。

ベルリン郊外にあるオリンピックスタジアム

1974年の西ドイツ、2006年にドイツとして開催されたサッカーワールドカップのメインスタジアムとしても使用され、改修を重ねて今の姿になっています。

内部も再現されている

4回に分けてドイツを周って、首都ベルリンに到着しました。次回はオーストリアへ向かいます。

 

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